マジックを始めたきっかけ


私とマジックの始まりは学生時代にさかのぼります。
学生時代にボランティアで野外活動のカウンセラー(リーダー)をしていて、その活動の中で子供たち相手にキャンプ場でクリスマス会を行う企画がありました。そこで私はマジックを披露する事になったのです。1ヶ月ほどの準備期間の間にマジックのネタを本などで探したのですが、なかなか良いネタは見つかりませんでした。結局、準備・経験・練習の不足から私のマジックショーは失敗に終わってしまいました。

それから数年後、社会人になってから(財)大阪市青少年協会が青少年活動の指導者を対象とした「リーダースクール」という講習会を見つけました。その「リーダースクール」の講座には「救急法」「野外クッキング」「ネイチャーゲーム」「グループワーク」などいろいろな種類のものがあったのですが、その中に「マジック」もありました。学生時代に失敗してから、マジックには多大なる興味を持っていたので(しかし、当時はマジックに関して情報がほとんどなく、どうすることもできませんでした)、その講座を受けてみる事にしました。

その講座は驚きと感動の連続でした。厳選されたネタ(種)と技術(テクニック)の素晴らしさ、話術の大切さ、そして、(インチキと)馬鹿にされる事の多いマジックの奥の深さを学びました。
今から思うと講師の方々(RRMCというセミプロ・マジシャンの集まり)がすばらしかったのですね。その後、他でやっているマジックの講習会を何度か受けに行ったのですが、金もうけ主義(道具を買わせる、自分の主催する有料クラブへ勧誘するなど)のうえ、くだらないネタしか教えていませんでした。

その講座は日帰り2回と1泊2日の3回の内容でしたが、最終日にちょうど宿の部屋が一緒だった山下氏(後のWRMC初代会長)と2人で雑談していて、
マジックがこんな面白いものだとは思わなかった。
このまま終わらせせるのは惜しい。
今回の受講生で勉強会の様なものをつくれないか?

という話になりました。
そして、講習会の終わりに20名ほどの賛同者を得て、クラブを作る事になったのです。
クラブの名前は素人(しろうと)のマジッククラブということで、「ホワイトリバー・マジッククラブ」になりました。そして、講習会で講師をしてもらったRRMC(レッドリバー・マジシャンズクラブ)の方々に(無報酬で)講師に来てもらう事になったのです。(宮島氏、中川氏、庄野氏、福島氏、岸本氏、渡辺氏、石田氏、金本氏などなど)

山下氏が会長、私が副会長として発足したものの、某都市銀行に勤める会長は多忙の為、ほとんどクラブの定例会に来れなかったので、約1年後に私が2代目会長になりました。最初の頃はメンバー全員がど素人だった為、講師の人達に「おんぶにだっこ状態」でしたが、合宿の企画や中央青年センター主催のフェスティバルへの参加(テーブルマジックを実演)、マジックショーの見物、レクチャー会への参加などを積極的に行うことによって、徐々にではありますが上達していきました。その後、私が関東に転勤したため、会長職は3代目のコールマン氏へ、そして、コールマン氏も結婚の為、4代目のワナビ氏へと会長は代わりましたが、クラブの方は徐々に大きくなって現在は会員50名以上、定例会にも常時20名以上の人達が集まるようになりました。メンバーの中にはバーやレストランでマジックを披露するセミプロ級の人達も増え、雑誌やTVにも取り上げられる様になり、定例会も2001年の夏には100回を数えることになりました。

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